mouton

人を愛したい

感情

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昨日靖子ちゃんのライブ始まる前にオシャレ!とララピピが流れてたの良いな〜と思ってたんだけど、終わったあともチキブンが流れててまじさゆみだった。炎上したって何も恐れないそのすべてに嘘がなければいい君が生み出したんだし!言いたいやつには言わせればいい君のすべてなんだから。最初も最後もさゆみじゃん〜!さゆみ出てないのに存在感残しまくり。余韻が道重さゆみ

でもほんと靖子ちゃんの愛の余韻すごくて絶対またライブ行きたいなあ、、というか、このツアーが始まったときは行けるなんて思わなかったから来れてよかった。本当にギリギリのとき、靖子ちゃんしか聴けなくなるときがあってその出会い方でよかったのかも、上手く言えないけど紆余曲折なかったら昨日のライブにはたぶん行ってないから。そんなところ誰もいないはずなのに靖子ちゃんはいた、わたしがわたしをここまで生きてたから会えて、あんなに泣けるって幸せなことだし。いや、あの曲聴いてるときに思い出してたってだけの話なんだけど。地下鉄で泣きながら流星ヘブン聴いてたこととか色んなこと。あの時の自分が今、もしかして報われちゃってるのかな〜、みたいな、いや、こんな未来があるなら悪くないな、みたいな、え〜?!なんか違うな

でもあの時藁にもすがる思いで聴いてた曲を歌ってくれたのが、しかも欲しかった言葉(欲しいと思ってたわけじゃないけど受け取ってみたらこれが欲しかったんだってわかるような言葉)と一緒に歌ってくれたのが嬉しかったというか、肯定されたから。私がなかったことにしようとした感情を美しいと言ってくれて、そのおかげで今日会えた みたいなことを言ってくれたから。あの感情がなければ、あのときの自分がいなければたしかに今日もなかったって思えて、だからあの時の自分ごと肯定された気がした。自分のことを若干許せた気がしたから。許せたっていうか、、?ああいうこともあったね〜ってとりあえず流せる気持ち。むしろあってよかったよ〜みたいな。持ってなきゃいけなかったものの拳をゆるめて手放せる感じ。あのときのどうしようもなかった自分を靖子ちゃんが肯定してくれた気がしたからあんな泣いたんだ、

伝わるようにと書いてたはずなのに最終的に自分にしか解読できない文章ができあがってる なんで